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ヨルダン上陸!

中東…イスラム圏…

怖いイメージしかありませんよね。日本からはあまりにも遠いし、

毎日のように、怖いニュースが流れているし。。

行く直前に、リビアでの暴動。シリア然り。

正直、フライトプランを変更しようか、かなり悩んだ。

でも、外務省の海外情報を見て、避難勧告が出されてないのを見て、行く事を決定。

ヨルダン滞在は5日なので、さらーっと見て、出る事になりそう…


デリー、午前5時のフライト。一緒に旅したインド人が空港まで見送りに来てくれる。

午後12時にアンマン着。

イミグレで担当と揉める。

「英語喋れないのか!?」

と切れられ、

あんたのアラビア訛りよりマシじゃー!とか思う。

いや、実際私の英語力の低さに問題があるんですけどね…

そして、別室に連れていかれ、

「IDをだせ!」
と言われる。

IDってナンですかー?パスポートじゃダメなんですかー?

身分証明出来るものとして、国際運転免許証も提示する。

二つを見比べながら、


「顔が違う」

当たり前じゃー!

パスポートの写真はハタチの頃じゃー!誰だって老けるわ!

前髪上げろとか、散々チェックして、ようやく通過できた。

あー疲れた。

さて、ここから、市内へ。

私は、ヨルダンについて何も調べていません。

地図すら持ってません。

なんて無謀な…

しかし、だいたいの方角と町の名前で、行きそうなバスを発見して乗り込む。

大体何所の国も、空港は市内から外れたとこにありますね。

市内へ向かう道中、見えるのは、赤茶けた土の大地。

何もない景色がずっと広がり、異世界に来たかのような錯覚を受ける。

少しして、大きなバスターミナルに着いた。

ここからは分からないので、タクシーで目当ての宿まで連れてってもらう。

私が行こうとしてるのは、かの有名な、

コウダホテル。

皆、聞いた事ありますよね?

そう、イラクに入り、アルカイダに、捕まり殺されてしまったコウダショウセイさんが

最後に泊まったホテルと縁のあるところです。

日本人贔屓のスタッフがいることでも有名。

無事着いて、早速チェックイン。

↓少し奥まったとこにあった
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スタッフのルアイは、私が日本人だというと、急に顔を輝かせ…これは、噂通りだ。

その後、1、5リットルの水をくれ、トイレットペーパーをくれ、

まだ食べてないことを知ると、サンドイッチまで、買って来てご馳走してくれた。


うーん、すごい!

↓日本でいうラップサンド。激うま。
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↓町並み
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今まではシングルだったけど、出費を抑える為に、ヨルダンからはドミに、泊まります!

ルアイは、日本人は日本人で集まるよう考えてくれてるみたい。

部屋に入ると、ぁたくす以外に三人が泊まってる模様。

どんな人達でしょう?この出会いも旅の醍醐味ですな!



さて・・・コウダホテルについて興味深い文を発見。
当時、怖いもの知らずで入るからだ。などと散々バッシングをうけていたコウダショウセイさんですが、
何故、危ないといわれていたイラクに入ることになったのか・・・
亡くなる直前の話です。

その日、2004年10月19日午後4時頃、その電話は鳴った。
「日本人があんたの所のホテルに行きたがっている、住所を教えてくれないか?」 アラブ人の男からだった。その5分後にアラブ人の男(タクシードライバー)と一緒にコーダはここクリフホテルにやってきたんだ。

コーダは始め、イラクの話などせず、ただ、「ドミトリーに泊まりたい。」と言ったので私は彼を部屋に案内したんだ。(ここら辺のやりとりは、 下川裕冶さんの本の記述と食い違いますが、 サーメル本人の話をそのまま書きます)

私は宿の宿帳に彼の名前を書いていた。すると突然彼が「今からイラクへ行きたい。どこからセルビスが出ているか教えてほしい」と言い出したんだ。私は「セルビスで行くのは危険過ぎる」と答えた。セルビスで行くのはツーリストくらいしかいないから狙われる危険が高いからだ。するとコーダは「I have to go」と言ったんだ。

理由を尋ねると、「イラクの子供達を助けたい…、イラクへ行って何が起こっているのか自分の目で見て、日本へ帰って人々に伝えたい…」と。私は「もし本当に行きたいのならバスでしか行けないよ」と言い、彼は「OK、今から予約してください」と言った。 私は本当に予約しようと思えば、その時すぐにできたけど、彼を止めるチャンスがまだあると思っていたから、「今日はもう遅すぎて予約できないよ」と嘘を付いた。彼は「じゃあ明日のバスを予約して下さい」と言って部屋に戻っていった。

コーダが部屋から出てきて、サンドイッチを買いに行って、レセプション裏のバルコニーで食べていたのが16:30頃。その後部屋に戻って、少ししたらロビーの本棚の前に立って情報ノートを見ていた。そしてすぐに部屋に戻っていった。(情報ノートとは、旅人が自分の通ってきた道を、 次の旅人の為に情報を残し伝える為のもの)彼の様子は他の旅行者と違って見えた。数十分後にまた部屋から出てきて、バルコニーで長い時間座って通りを眺めていた。私は彼の事が心配で、バルコニーへ行って話しかけたんだ。「まだイラクへ行きたいと思ってるの?」って。 彼は真剣な顔をして「Yes」と答えるだけだった…。

その時ホテルに泊まっていた他の日本人の男の一人に、コーダと話をしてくれるように頼んだんだ。日本人と話す事で、コーダがイラク行きをやめようと思ってほしかったから。 その人がバルコニーに行ってコーダと話しをしていた。私は何かジョークを言って彼を和ませようと、「まだ気持ちは変わらない?もし本当にイラクへ行ったら、アルジャジーラ(カタールの衛星テレビ局)に出る事になるよ?」と冗談のつもりで言ったんだ。もう一人の日本人は笑っていたけど、コーダは笑顔は見せなかった。少し怒ってしまったようだった…。

その後もコーダとその日本人は長い間話をしていた。二人が話し終わった後、その日本人が 「彼はイラクへどうしても行くと言っている。誰も彼を止める事はできないよ…。」と私に言った…。

次の日(10月20日)の朝、10時頃にコーダは起きてきて「予約はしてくれましたか?」
と聞いてきた。私は、「18時のバスを予約しといたよ」と答えた。けれどこれは嘘で、本当は予約なんかしていなかったんだ。まだ彼を止めるチャンスがあると思っていたから…。 12時にチェックアウトをしてから、ロビーのソファーに座っていた彼に「まだイラクへ行きたい気持ちは変わらないの?」と何度も尋ねたけど、「変わらない」と…。もし、本当にバスを予約するなら14時までにする必要があった。だから14時前に最後にもう一度尋ねた。そこでも彼のイラク行きの意志は変わらなかった…。それで仕方なくバスの予約をしたんだ。彼を止める事はできなかった…。

その後、コーダが「イラクから戻ってくるまで預かっといて下さい」と私にある物を渡してきた。それは死海で拾った石とタオル、そしてイラクの子供の写真だった。写真は10枚くらいあって、戦争で傷付いた子供達が写っていた。コーダは、「日本人から貰った」と言っていた。

彼が亡くなった後、彼の家族にその写真を全部送ったら、 その内の一枚のコピーとコーダの写真を送ってくれた。(子供が血を流しベットの上で寝ている写真。クリフホテルで見る事ができる)送られてきた写真の子供はまだよく、もっとひどい状態の子供の写真ばっかりだったよ。 コーダはこういう子供達の為に何かしたかったんだと思う…。

コーダは出発までの時間、少し外に行った以外は、ずっとロビーで情報ノートを読んでいた。17時頃に日本人の男の人(昨晩、香田さんと話をした人)と一緒に、コーダをバスターミナルまで見送りに行ったんだ。彼は 「アッサラーム、さようなら」と言い、バスに乗り込んで行ってしまった…。

彼を見送った2時間後に日本大使館に連絡する事にした。「2時間前に日本人、コーダショウセイがイラクへ向かいました。まだ国境に着いていないはずです。もし可能なら彼を止めてほしい」と伝えた。すると 「お電話ありがとうございました。また何か分かり次第教えてください」とだけ言われたんだ…。

その後バグダットのホテルで働く知人に電話して、日本人がホテルに来たかどうか聞いたら、来てないと言われた。そのホテルをコーダに教えていたから、必ず行くだろうと思って、しばらくしてもう一度電話をしたら「確かに日本人が来たけど、身の安全を保障できないし、ホテルが狙われる危険もあるから、泊めてあげられなかったんだ…」と言われてしまった…。(武装グループがホテルへ押し入り、外国人を誘拐していく事件が頻繁に起こっていた。ホテルはそれを恐れていた。)

26日(日本時間27日)の夜中に国連の人 (サーメルとは前からの知り合い)から電話がかかってきて「日本人がイラクで人質になりました。アルジャジーラか、NHKを見て下さい」 と言われた。 テレビを付けると、そこには武装集団に囲まれたコーダの姿が…!!私はとても驚いてショックだった…。ザルカウィ率いるアルカイダに捕まったと知って、「もし、彼らが要求している時間内に、日本政府が何もしなければ、 彼は間違いなく殺されてしまう…」と思って絶望的な気持ちになった…。

その後、日本政府(外務省)からクリフホテルに人が来て、私にコーダの事を色々と質問した。けれど、その半年前に高遠さん、郡山さん、今井さん達三人が、イラクで人質になった時は、外務省、自衛隊、ヨルダン政府の人達がクリフに何度も来て、もっと色々な事を聞かれたし、とても慌ただしい雰囲気だったよ。(高遠さんら三人もクリフホテルに泊まって、ここからイラク入りをした)けど、コーダの時はそんな感じではなかった。多分三人の時と同じように助かるだろうと、 殺される事はないだろうと考えていたんじゃないかな…。だけど、私は 「危ない…」と思っていた。捕まったアルカイダというグループが危険すぎたから…。その後 『アジア人の遺体発見』という報道が2回あったけど、コーダではなかった。

だけど30日の22時に、ニュースで彼の遺体が発見された事を知った…。日本大使館からも電話がかかってきて、彼が殺された事を知らされたよ…。その2日後に彼の家族から電話があって、私が謝ると「あなたのせいではないですよ」と言ってくれた。私はコーダが殺されてしまったと知った時に、 心の中で誓ったんだ…。いつか私の夢である自分のホテルを持てる日が来たら、ホテルの名前に彼の名前を入れようと。

数ヵ月後に日本大使館に電話をして彼の家族に「ホテルの名前を『KODA HOTEL』にしたい」と伝えてくれるように頼んだんだ。 そしたら1週間後に彼の家族から 「色々とありがとうございました。ホテルを作る時にKODAでもSHOUSEIでも、どちらでも使ってください」というような内容のFAXが届いた。だけどその後、ヨルダンの役所に『KODA HOTEL』は許可できないと言われてしまった…。(個人名、又はあの事件で?)

実際受け継ぐ予定の『MANSUR HOTEL』から名前を変えて、再登録するには、色々な手続きと、時間、費用が大変かかってしまうんだ。HOTEL名はそのままでスタートし、いつか余裕ができたら『KODA HOTEL』に変えられるようにトライするつもりだよ。だけど、もしオープンできたらすぐHOTELの看板の下に、日本語で『コーダホテル』か『香田ホテル』と、書こうと思ってる。日本語なら役所にバレないからね!彼の事を一生忘れないように。そしてみんなにも彼の事を忘れてほしくないんだ。

私はいつも帰らない弟の事を思う。コーダはレセプションの裏の狭いバルコニーから、アンマンのつまらない通りを眺めていた。…今でも思い出せる。ソファーでノートを見ていたコーダ、部屋に向かう後姿、クリフホテルから出て行ったあの日、ターミナルからバス に乗り込んだあの時の事を…



最後まで読んでくれた人は、サーメルさんの現在が気になるかもしれない。

実は彼は今、日本にいる。

2009年2月ある日本人女性と結婚し、同年5月から日本に来ている。お子さんも産まれ、今ではご家族で幸せに暮らして

いるのだと思う。「中東一良い人」「日本人を家族だと考え、若い旅行者を弟・妹を考え、心からもてなしてくれた

人」が、母国では幸福になれず日本で自分の家族を手に入れ幸福になれたのなら日本人としてはうれしいと、素直に思う。

サーメルさんのご多幸を祈らずにはいられない。



かなり前の話なので、今更。。。かもしれませんが、ぁたくす、コウダショウセイさんが何故イラクへ

渡ったのか、知らなかったので、載せてみました。

若さゆえ、無謀な行動に出てしまったのかもしれませんが、自分の中の突き動かされる

衝動に従ったことは、無駄だとは思えません。。。

皆さんはどう思いますか?


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[ 2011/05/10 07:14 ] ヨルダン | TB(0) | CM(5)

灌漑深いものがありますね。

突き動かされる衝動にかられることはありますね。
行く行かないは自己判断になるけど、
私も、マニアックな場所が好きだったりするので。
けれど、命あっての旅ですので、
止められてまでは行かないと思う。
[ 2011/05/14 17:24 ] [ 編集 ]

Re: 灌漑深いものがありますね。

> hirokiさん
コメントありがとうございます!
そうですよね、私も現地の方にすごく止められるならきっと
行かないと思います・・・その前に危ないといわれてるところに
近づくことすらないと思う。
マニアックな遺跡には行きたいんですけどね・・・
[ 2011/05/15 06:42 ] [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
[ 2011/05/15 07:01 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> わたるさん

確かにそうですね。その気持ちはりっぱだったかも知れませんが、仮に彼が行って、何が出来たわけでもないと思うので、周りの反対を押し切ってまで行くべきではないですね。

[ 2011/05/19 05:28 ] [ 編集 ]

力が無い

正義はある意味力が必要だね。

でも、力で正義をするとそれは悪行と呼ばれる事にもなる。

信念を持ちつつも流されろって感じが良いのだろうw
[ 2011/05/24 00:27 ] [ 編集 ]

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