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新・世界七不思議~ぺトラ~

ブログの更新日時を間違えてしまったので、ヨルダン編がインド編の前になってたんで。
(ブログを見てくれた方に教えられて知ったという・・・)
ヨルダン編を3幕続けてご覧下さい。笑


ヨルダン上陸→死海→ペトラです


さぁーやってきました。ペトラ遺跡!

5日しかヨルダンにいないため、日帰りで行けるなら。。。

思っていたのが、

絶対やめたほうがいい、遺跡回るだけでも一日かかる

とアドバイスをいただいたので、

日本人びいきの優しいスタッフ・ルアイに頼んで、

1泊する間荷物を預かってもらうことにしました。

他のホテルだったら、預かり料とかいるよね、ホントありがたい。。。

パソコンと、1日分のあれこれ持って出発。

行った先は、ペトラで有名な安宿’バレンタイン・イン’

1泊3JD(330エンくらい)で、特筆すべきがここのディナー!!

5JDで、ビュッフェなんです!


しかし、コウダホテルの情報ノートにはここの悪口ばっか書いてあった。

ごはん美味しくないやのオーナーの愛想が悪いやの。


しかし、ぁたくすは全くそんな風に感じなく、

ご飯は野菜があまり取れない毎日の食事のなかで、

あれだけの野菜が食べれるなんてそれだけでサイコーで、

どれもこれも普通に美味しかったし、ぁたくすがちろっと

料理をしてたことを話すと、


ここで働いてくれ、給料いくらがいい?


とか言ってきて、そんな雰囲気悪いと

は感じなかったー・・・って、宿の話になってますやん!

↓すごい量!
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ちゃうちゃう、ペトラ遺跡ですよー!!

新・世界の7不思議
として選出されています。

皆さんご存知、インディージョーンズの舞台になったとこです

50JD!(5700エンくらい)という ありえない値段のチケットを買っていざ出発。

しかし、この入場料、去年までは30JDだったらしく、この値段の

あがりようはナンなんだ?

しかも、ヨルダン人だと1JDらしく、差がありすぎるやろ!どんだけぼってるねん

って感じなんですが、その分楽しんでこようやないかい。

この町は非常に小さなまちなので、観光に頼ってるんやろなぁと思いつつ、出発。

サンライズを見ようと5時に起きる。徒歩45分くらいらしいから、いけるいけると思いつつも、

3分の一もきてないとこで断念。ヒッチハイクに切り替える。

思い立って、親指を立てたところで、すぐに車が止まった。

なんだー簡単じゃーん、と乗り込んで、ぺトラまで連れてってもらう。

そして、降りるとき、お金を請求され

これはヒッチハイクだよー!
と叫んですり抜ける。。。

さて、この値段に見合ったものではないとか散々な評価を受けている

遺跡ですが、どんなもんやら?

↓ゲートを抜けてすぐ。遺跡へ向かって歩きます。

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門をくぐると、砂地が続き、だんだん岩が見えてくる。細い岩の通路を奥へと進む。

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すると・・・

現れましたエル・ハズネ

これこそ、
インディー・ジョーンズ/最後の聖戦に使われた場所!eru_convert_20110514174006.jpg

ペトラとは岩を意味し、柔らかい砂岩を削って造られています。

近くで見ると、あまりに綺麗に対照に造られているので、

本当に削って造ったのかと思ってしまいます。

周りが荒々しい岩のままなので、それが更に不思議な光景を増長させます。

それから、道なりに歩いて行く。

砂漠地帯なので、膝からしたが砂まみれになる…

ペトラ遺跡は、とても広い。

全てを見ようとすると、一日ではとても足りない。


なのに、公開されているのは、全体の1%にすぎないという…


そして、そんなに広いのに、一切地図がなく、

あるのは、所々にある簡単な看板だけ。



えー。迷っちゃいますね。大丈夫ですかね.…

色んな方向に道が伸びていて、さっぱり分からん。

でも、数人が歩いている方向と同じだろうと、ついていく。

その道は、遺跡観光というよりトレッキングと呼ぶに相応しい道で、


急な坂、何十段と続く階段。

その上日が照ってきて、暑いのなんのって…

後どれだけで、ゴールが見えるのか分からないので、ほんと、修行のようでした。

そして、そんな険しい山道を登ること訳1時間…

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ようやく頂上に、辿り着く。下のエルハズネの倍くらい

ありそうなエド・ディルとご対面!!

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誰が何の為に作ったのか謎のままだという。

世界7不思議のひとつになるはずだわ。

目の前にカフェがあるので、30分くらいぼーっと眺めてた。


周りをくるっと見渡してみると、上のほうに人影が見える。

おーあんな上まで登れるんか。ちょっともうくたくたなんだけど、頑張って登ってみよう。
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・・・頂上は、すごい景色だった。遠くのほうまで日本にはない荒々しい山が

広がっていて、もう、見渡す限りそれ以外何もない!

ちょっと下を見てみると深い谷底になっていて、こんな大自然を目の前にすると、

悩みなんてちっぽけなものに思えてしまう。

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↓振り返ると神殿があんなに小さく見えた。

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来た道をゆっくり降りる。いつの間にか午後になっていた。昼過ぎからは

たくさんの観光客が来たので、早起きして良かったと思う。

↓ラクダの形の岩
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帰り道、岩がすごくカラフルな模様になっているところがあった。

これが自然に出来たなんて信じられない!まるで絵の具で塗ったように

綺麗で・・・ペトラの砂がピンク色なのはこういう訳なんだあなぁ。

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↓何か変な人が住んでますねー
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最も、岩が何故こんな色になるのかは分からなかったんだけど。。。

またまた自然てすごいなぁ。って思いながら帰り道をてくてく

歩いていると、ロバに乗った少年に話しかけられる。

遺跡内はロバやラクダで回ることも出来る為、道を歩いてると、

「乗らない?」と何度も声を掛けられる。もちろんお金かかるので、

今回もいいよー歩くからーって断ってると、

「僕のお母さんは日本人なんだ、君日本人?そうならただで乗せてあげるよー。」

何!?ほんまでっかー。実は旅の思い出に乗りたいなーなんて思ってたんだよね。

まぁ100%アラブ顔なので

ハーフってきっとウソだろうとか思いながら
 (失礼)

好意に甘えさせてもらう。

彼の乗ってるロバと、ぁたくすが乗せてもらったロバは

ロープで繋がれていた。支えてもらいながら、背にまたがると、プーンと獣の匂いがした。

楽かと思いきや、腹筋を使いながら落ちないようにけっこう必死にしがみつかなきゃ

駄目で、ちょっと怖かった。平坦な道ならともかく、階段を下りたり登ったりするもんだから

一回下りでお尻がロバから離れ、前につんのめりそうになった時は、ホントに落ちそうでめっちゃ

叫んでしまった・・快適とは言えなくても、ジプシャンと山の上をロバに乗って移動するのは

旅情を誘ってとても良かった。

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ね。ここまでは良かったんですけどね。

始めは観光客用に整備された道を通ってたんですよ。それがだんだん

険しい道になってきて、ロバもどう動いていいかわからず何度

も立ち止まるような道といえない道になってきて、だんだん不安になる。

「ねぇ、あたし帰ろうとしてたんだけど、ここどこなん?」

「分かってるよ、チケット売り場に向かってるんだ」

・・・・・。

後から分かったんですが、彼は一山越えて、ぁたくすを案内してくれた模様。

険しい険しい道をロバから落ちないように必死でしがみつくこと30分。

途中で、彼は、

「ごめん、降りてくれる?こいつ疲れたみたいなんだ。」

と・・

えー。。。ぁたくすが降ろされたところはなんていうか。。。

完全にジプシャンが自分らしか通れない、通らないような所でして、ホントに山の上。

山というか岩というのか。あのエルハズネの上に登りました。って言ったら何となく伝わるのか。。。

ほんま360度草木も生えてない茶色の岩山。砂漠の真ん中にいたら絶対こんな気分やわ。


しかもここで彼、

「じゃあチケット売り場はあっちだから」と何も見えない方を指差した。

いやいやいや待て待て待て。
分かるわけないだろうそんなの!ちゃんと案内してくれ!

そしたら彼はうーん分かった。と前を歩き始めたんだけど、

またその道の危ないこと。ロッククライ

ミングですよ。命綱のない



山肌がざらざらしてたから何とか滑らないように登ることできたけど、

これ足踏み外したら確実にぁたくすまっ

さかさまに落ちて死にますよね?
みたいなところを登り・・今こうやって書いてますが、こ

の時はほんまにめちゃめちゃ必死だった。分かります?70度くらいの角度のある

崖のような山を登ったんですよ・・・ほんま怖かった。

いつも登ってるだろう彼は大丈夫大丈夫~なんていってたけど、

そらあんたは大丈夫かもしれませんけどね!!

やっと遠くに観光客がいっぱい歩いてる道を見つけたときは心底ホッとした。

彼に複雑な気持ちでお礼を言い、一気に駆け下りる。

あまりに焦っていたので、写真を撮らなかったの後悔だー。

そして、おかしな方向から出てきたぁたくすですが、何食わぬ顔で

観光客に混じり
帰路へ着く・・

あーーーー疲れたーーーー(イロンナ意味で)

今日はものすごく印象に残った1日となりました。(これまたイロンナ意味

で)
ペトラに行った方はジプシャンと一緒に山越えをしてみて下さい。

生きてることが実感できる体験が出来ます・・・

↓帰り立ち寄ったお土産やさんでアラビックスタイルに巻いてもらった。
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↓宿から見た夜景
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[ 2011/05/14 17:00 ] ヨルダン | TB(0) | CM(4)

死海体験!!

コウダホテルで知り合った旅人4人と死海に行ってきた!!

ヨルダン側には3段階に分かれて、浜があり、まず無料のビーチ。

ここは無料なだけあって汚く、治安も悪く、シャワーも何もない。

死海の水が目に入ったらめちゃめちゃ痛いので、ここに行くなら水を

持参していくべき。次に10JD(1100エンくらい)のビーチ。こっちは

多少綺麗らしいんだけど、やはりシャワーがない。そして最後に15JDのビーチ。

ここは更衣室、シャワー、プールと揃ってて、ほんのりリゾート風。観光客はみな

ここにするらしく、ぁたくすたちも例に漏れず、このビーチへ。

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4人も居たら、荷物見ててもらえたり、写真撮ったり出来るので、ホント良かった!

さぁーほんとに浮くでしょうかー!?

いやーびっくりするくらい浮くー!!水に体が拒否されてるみ

たい。塩分濃度が高いから水質はちょっとドロッとしてる。

しかし顔をつけずに浮いてるのってなかなか難しい・・・

男性は死海に来る直前に髭剃りをせぬこと。。。誤って顔をつけてしまったらめちゃめちゃ

しみるとのことです・・ためしにチロッと舐めてみる。いやねーしょっぱい

を通り越して苦い
です。多量のカドミウムが含まれてるらしい・・

駄目ですやん!


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それから、ここの目玉ともいうべき?死海の泥パック。

何でそんなに黒いの?というくらい真っ黒なパック。黒人さんになった人がいっぱい居ました。
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が、これは有料で3JD。しかし、一緒に行ったうちの一人が死海2回目で、底から泥取ってきて

塗るだけでも十分効果があると!?

またまた一人が準備ヨロシイことにタッパーを持ってきてたので、皆で泥人間になってみました。

ハイ。

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ねーもう誰が誰だかわかりませんねー

ホラー映画のエキストラですよー。

でも、粘土の様な感触の泥。十分効果がありそうで期待大。

しかし、3JDのお店の前できゃーきゃー言いながら塗ってたので、

営業妨害もいいとこですね。


実際、他にもやり始めた人がいました・・・


でも、ホント楽しかった!こういう場所は一人で来たら駄目だー。

↓泥
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それから夜はみんなで近くの食堂へ。ヨルダン人は愛想良くて、カメラ向けたら

ポーズを取ってくれます。

↓同じく世界一周中のきょうちゃん
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ヨルダン料理はアラブ料理。食堂に入ったら、日本のぬか漬けのような味のきゅうりと

パンが必ず付いてきます。パンは何枚でも食べ放題。

今回はアラブサラダとミートボールのトマト煮込みと(これ美味しかった!)

チャーハンみたいなモノをチョイス。ホント食事は何人かで食べるのが一番!

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明日はもう、皆バラバラになってしまいます。旅は出会いと別れの繰り返し。

ぁたくすはインディージョーンズの世界、ぺトラ遺跡へ向かいます~。

感動の景色に会えるでしょうか!? 
[ 2011/05/13 04:29 ] ヨルダン | TB(0) | CM(0)

ヨルダン上陸!

中東…イスラム圏…

怖いイメージしかありませんよね。日本からはあまりにも遠いし、

毎日のように、怖いニュースが流れているし。。

行く直前に、リビアでの暴動。シリア然り。

正直、フライトプランを変更しようか、かなり悩んだ。

でも、外務省の海外情報を見て、避難勧告が出されてないのを見て、行く事を決定。

ヨルダン滞在は5日なので、さらーっと見て、出る事になりそう…


デリー、午前5時のフライト。一緒に旅したインド人が空港まで見送りに来てくれる。

午後12時にアンマン着。

イミグレで担当と揉める。

「英語喋れないのか!?」

と切れられ、

あんたのアラビア訛りよりマシじゃー!とか思う。

いや、実際私の英語力の低さに問題があるんですけどね…

そして、別室に連れていかれ、

「IDをだせ!」
と言われる。

IDってナンですかー?パスポートじゃダメなんですかー?

身分証明出来るものとして、国際運転免許証も提示する。

二つを見比べながら、


「顔が違う」

当たり前じゃー!

パスポートの写真はハタチの頃じゃー!誰だって老けるわ!

前髪上げろとか、散々チェックして、ようやく通過できた。

あー疲れた。

さて、ここから、市内へ。

私は、ヨルダンについて何も調べていません。

地図すら持ってません。

なんて無謀な…

しかし、だいたいの方角と町の名前で、行きそうなバスを発見して乗り込む。

大体何所の国も、空港は市内から外れたとこにありますね。

市内へ向かう道中、見えるのは、赤茶けた土の大地。

何もない景色がずっと広がり、異世界に来たかのような錯覚を受ける。

少しして、大きなバスターミナルに着いた。

ここからは分からないので、タクシーで目当ての宿まで連れてってもらう。

私が行こうとしてるのは、かの有名な、

コウダホテル。

皆、聞いた事ありますよね?

そう、イラクに入り、アルカイダに、捕まり殺されてしまったコウダショウセイさんが

最後に泊まったホテルと縁のあるところです。

日本人贔屓のスタッフがいることでも有名。

無事着いて、早速チェックイン。

↓少し奥まったとこにあった
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スタッフのルアイは、私が日本人だというと、急に顔を輝かせ…これは、噂通りだ。

その後、1、5リットルの水をくれ、トイレットペーパーをくれ、

まだ食べてないことを知ると、サンドイッチまで、買って来てご馳走してくれた。


うーん、すごい!

↓日本でいうラップサンド。激うま。
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↓町並み
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今まではシングルだったけど、出費を抑える為に、ヨルダンからはドミに、泊まります!

ルアイは、日本人は日本人で集まるよう考えてくれてるみたい。

部屋に入ると、ぁたくす以外に三人が泊まってる模様。

どんな人達でしょう?この出会いも旅の醍醐味ですな!



さて・・・コウダホテルについて興味深い文を発見。
当時、怖いもの知らずで入るからだ。などと散々バッシングをうけていたコウダショウセイさんですが、
何故、危ないといわれていたイラクに入ることになったのか・・・
亡くなる直前の話です。

その日、2004年10月19日午後4時頃、その電話は鳴った。
「日本人があんたの所のホテルに行きたがっている、住所を教えてくれないか?」 アラブ人の男からだった。その5分後にアラブ人の男(タクシードライバー)と一緒にコーダはここクリフホテルにやってきたんだ。

コーダは始め、イラクの話などせず、ただ、「ドミトリーに泊まりたい。」と言ったので私は彼を部屋に案内したんだ。(ここら辺のやりとりは、 下川裕冶さんの本の記述と食い違いますが、 サーメル本人の話をそのまま書きます)

私は宿の宿帳に彼の名前を書いていた。すると突然彼が「今からイラクへ行きたい。どこからセルビスが出ているか教えてほしい」と言い出したんだ。私は「セルビスで行くのは危険過ぎる」と答えた。セルビスで行くのはツーリストくらいしかいないから狙われる危険が高いからだ。するとコーダは「I have to go」と言ったんだ。

理由を尋ねると、「イラクの子供達を助けたい…、イラクへ行って何が起こっているのか自分の目で見て、日本へ帰って人々に伝えたい…」と。私は「もし本当に行きたいのならバスでしか行けないよ」と言い、彼は「OK、今から予約してください」と言った。 私は本当に予約しようと思えば、その時すぐにできたけど、彼を止めるチャンスがまだあると思っていたから、「今日はもう遅すぎて予約できないよ」と嘘を付いた。彼は「じゃあ明日のバスを予約して下さい」と言って部屋に戻っていった。

コーダが部屋から出てきて、サンドイッチを買いに行って、レセプション裏のバルコニーで食べていたのが16:30頃。その後部屋に戻って、少ししたらロビーの本棚の前に立って情報ノートを見ていた。そしてすぐに部屋に戻っていった。(情報ノートとは、旅人が自分の通ってきた道を、 次の旅人の為に情報を残し伝える為のもの)彼の様子は他の旅行者と違って見えた。数十分後にまた部屋から出てきて、バルコニーで長い時間座って通りを眺めていた。私は彼の事が心配で、バルコニーへ行って話しかけたんだ。「まだイラクへ行きたいと思ってるの?」って。 彼は真剣な顔をして「Yes」と答えるだけだった…。

その時ホテルに泊まっていた他の日本人の男の一人に、コーダと話をしてくれるように頼んだんだ。日本人と話す事で、コーダがイラク行きをやめようと思ってほしかったから。 その人がバルコニーに行ってコーダと話しをしていた。私は何かジョークを言って彼を和ませようと、「まだ気持ちは変わらない?もし本当にイラクへ行ったら、アルジャジーラ(カタールの衛星テレビ局)に出る事になるよ?」と冗談のつもりで言ったんだ。もう一人の日本人は笑っていたけど、コーダは笑顔は見せなかった。少し怒ってしまったようだった…。

その後もコーダとその日本人は長い間話をしていた。二人が話し終わった後、その日本人が 「彼はイラクへどうしても行くと言っている。誰も彼を止める事はできないよ…。」と私に言った…。

次の日(10月20日)の朝、10時頃にコーダは起きてきて「予約はしてくれましたか?」
と聞いてきた。私は、「18時のバスを予約しといたよ」と答えた。けれどこれは嘘で、本当は予約なんかしていなかったんだ。まだ彼を止めるチャンスがあると思っていたから…。 12時にチェックアウトをしてから、ロビーのソファーに座っていた彼に「まだイラクへ行きたい気持ちは変わらないの?」と何度も尋ねたけど、「変わらない」と…。もし、本当にバスを予約するなら14時までにする必要があった。だから14時前に最後にもう一度尋ねた。そこでも彼のイラク行きの意志は変わらなかった…。それで仕方なくバスの予約をしたんだ。彼を止める事はできなかった…。

その後、コーダが「イラクから戻ってくるまで預かっといて下さい」と私にある物を渡してきた。それは死海で拾った石とタオル、そしてイラクの子供の写真だった。写真は10枚くらいあって、戦争で傷付いた子供達が写っていた。コーダは、「日本人から貰った」と言っていた。

彼が亡くなった後、彼の家族にその写真を全部送ったら、 その内の一枚のコピーとコーダの写真を送ってくれた。(子供が血を流しベットの上で寝ている写真。クリフホテルで見る事ができる)送られてきた写真の子供はまだよく、もっとひどい状態の子供の写真ばっかりだったよ。 コーダはこういう子供達の為に何かしたかったんだと思う…。

コーダは出発までの時間、少し外に行った以外は、ずっとロビーで情報ノートを読んでいた。17時頃に日本人の男の人(昨晩、香田さんと話をした人)と一緒に、コーダをバスターミナルまで見送りに行ったんだ。彼は 「アッサラーム、さようなら」と言い、バスに乗り込んで行ってしまった…。

彼を見送った2時間後に日本大使館に連絡する事にした。「2時間前に日本人、コーダショウセイがイラクへ向かいました。まだ国境に着いていないはずです。もし可能なら彼を止めてほしい」と伝えた。すると 「お電話ありがとうございました。また何か分かり次第教えてください」とだけ言われたんだ…。

その後バグダットのホテルで働く知人に電話して、日本人がホテルに来たかどうか聞いたら、来てないと言われた。そのホテルをコーダに教えていたから、必ず行くだろうと思って、しばらくしてもう一度電話をしたら「確かに日本人が来たけど、身の安全を保障できないし、ホテルが狙われる危険もあるから、泊めてあげられなかったんだ…」と言われてしまった…。(武装グループがホテルへ押し入り、外国人を誘拐していく事件が頻繁に起こっていた。ホテルはそれを恐れていた。)

26日(日本時間27日)の夜中に国連の人 (サーメルとは前からの知り合い)から電話がかかってきて「日本人がイラクで人質になりました。アルジャジーラか、NHKを見て下さい」 と言われた。 テレビを付けると、そこには武装集団に囲まれたコーダの姿が…!!私はとても驚いてショックだった…。ザルカウィ率いるアルカイダに捕まったと知って、「もし、彼らが要求している時間内に、日本政府が何もしなければ、 彼は間違いなく殺されてしまう…」と思って絶望的な気持ちになった…。

その後、日本政府(外務省)からクリフホテルに人が来て、私にコーダの事を色々と質問した。けれど、その半年前に高遠さん、郡山さん、今井さん達三人が、イラクで人質になった時は、外務省、自衛隊、ヨルダン政府の人達がクリフに何度も来て、もっと色々な事を聞かれたし、とても慌ただしい雰囲気だったよ。(高遠さんら三人もクリフホテルに泊まって、ここからイラク入りをした)けど、コーダの時はそんな感じではなかった。多分三人の時と同じように助かるだろうと、 殺される事はないだろうと考えていたんじゃないかな…。だけど、私は 「危ない…」と思っていた。捕まったアルカイダというグループが危険すぎたから…。その後 『アジア人の遺体発見』という報道が2回あったけど、コーダではなかった。

だけど30日の22時に、ニュースで彼の遺体が発見された事を知った…。日本大使館からも電話がかかってきて、彼が殺された事を知らされたよ…。その2日後に彼の家族から電話があって、私が謝ると「あなたのせいではないですよ」と言ってくれた。私はコーダが殺されてしまったと知った時に、 心の中で誓ったんだ…。いつか私の夢である自分のホテルを持てる日が来たら、ホテルの名前に彼の名前を入れようと。

数ヵ月後に日本大使館に電話をして彼の家族に「ホテルの名前を『KODA HOTEL』にしたい」と伝えてくれるように頼んだんだ。 そしたら1週間後に彼の家族から 「色々とありがとうございました。ホテルを作る時にKODAでもSHOUSEIでも、どちらでも使ってください」というような内容のFAXが届いた。だけどその後、ヨルダンの役所に『KODA HOTEL』は許可できないと言われてしまった…。(個人名、又はあの事件で?)

実際受け継ぐ予定の『MANSUR HOTEL』から名前を変えて、再登録するには、色々な手続きと、時間、費用が大変かかってしまうんだ。HOTEL名はそのままでスタートし、いつか余裕ができたら『KODA HOTEL』に変えられるようにトライするつもりだよ。だけど、もしオープンできたらすぐHOTELの看板の下に、日本語で『コーダホテル』か『香田ホテル』と、書こうと思ってる。日本語なら役所にバレないからね!彼の事を一生忘れないように。そしてみんなにも彼の事を忘れてほしくないんだ。

私はいつも帰らない弟の事を思う。コーダはレセプションの裏の狭いバルコニーから、アンマンのつまらない通りを眺めていた。…今でも思い出せる。ソファーでノートを見ていたコーダ、部屋に向かう後姿、クリフホテルから出て行ったあの日、ターミナルからバス に乗り込んだあの時の事を…



最後まで読んでくれた人は、サーメルさんの現在が気になるかもしれない。

実は彼は今、日本にいる。

2009年2月ある日本人女性と結婚し、同年5月から日本に来ている。お子さんも産まれ、今ではご家族で幸せに暮らして

いるのだと思う。「中東一良い人」「日本人を家族だと考え、若い旅行者を弟・妹を考え、心からもてなしてくれた

人」が、母国では幸福になれず日本で自分の家族を手に入れ幸福になれたのなら日本人としてはうれしいと、素直に思う。

サーメルさんのご多幸を祈らずにはいられない。



かなり前の話なので、今更。。。かもしれませんが、ぁたくす、コウダショウセイさんが何故イラクへ

渡ったのか、知らなかったので、載せてみました。

若さゆえ、無謀な行動に出てしまったのかもしれませんが、自分の中の突き動かされる

衝動に従ったことは、無駄だとは思えません。。。

皆さんはどう思いますか?


[ 2011/05/10 07:14 ] ヨルダン | TB(0) | CM(5)




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